2015年7月11日土曜日

日本の未来が見える村 長野県下條村、出生率「2.04」の必然




 篠原 匡
 霞が関を頂点とした中央集権的な行政システムが日本の国力を奪っている。霞が関は省益確保に奔走、特殊法人は天下りの巣窟となっている。効果に乏しい政策を検証もなく続けたことで行政は肥大化、国と地方の二重、三重行政と相まって膨大な行政コストを生み出している。
 さらに、補助金や法令を通じた霞が関の過度の関与によって、地方自治体は「考える力」と自主性を失った。1990年代の景気対策で積み上げた公共投資の結果、末端の市町村は多額の借金にまみれ、住民が望む行政サービスを手がけることもままならない。国と地方の借金総額は約1000兆円。これが、今の行政システムの限界を如実に示している。
 増え続ける社会保障コストを賄うため、増税論議が俎上に上がる。年金や医療の信頼を取り戻すためには国民負担が必要だ。それは、国民も分かっている。だが、既存の行政システムには膨大な無駄が眠っている。それを看過したまま増税に応じるのはお断り――。それが率直な国民の思いだろう。
 では、何をすべきか。それを考えるうえで示唆に富む村が長野県にあった。地方分権、行財政改革、国の過度の関与、非効率な補助金、住民自治。国と地方を取り巻く様々な問題。これらを解決する糸口がこの村にはある。子供が増えた“奇跡の村”、下條村。だが、それは奇跡ではなく必然だった。村の20年を紐解いてみよう。
 長野県南部、天竜川の畔に広がる下條村。出生率を向上させたことで全国的に知られる村である。国の合計特殊出生率は1.34。それに対して、下條村の出生率は2003~06年の平均で2.04人に上る。1993~97年の平均1.80人から0.24人改善させた。この出生率は長野県下でも随一だ。さらに、村の人口4176人のうち0~14歳が710人を占める。人口比17%。この数字も県下一という。
 村には、子供たちの声がこだましている。

過去3年間で250以上の自治体が視察に訪れた

 村に1つの保育園を訪れた時のこと。「こんにちは~」と声をかけると、黄色のそろいのスモックを着た園児が、わらわらと集まってきた。「さ~いしょ~はぐ~」。保育園ではジャンケンが流行っているのだろうか。見ず知らずのおじさんに、次から次へとジャンケン攻撃を仕掛けてくる。この保育園には155人の園児が通っている。増える園児に対応するために2回、校舎を増築した。
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保育園を訪れると、黄色のスモックに身を包んだ園児がわらわらと集まってきた(写真:高木茂樹)
 夕方になると、園児を乗せた送迎バスが国道を行き来し、ランドセルを背負った下校途中の小学生が列を連ねて歩いている。目ぼしい産業もない静かな村。だが、子供の声が響くだけで活気を感じるから不思議なものだ。「子供の声を聞くと、年寄りの背中がピシっと伸びる。子供を増やすのが最大の高齢化対策だな」。下條村の村長、伊藤喜平氏はそう言って相好を崩した。
 この下條村の奇跡に触れようと、全国各地から視察に訪れる。この3年間で250以上の視察団が来た。役所の通常業務に差し支えるため、週1回に視察を制限しているほど。出生率の減少が続いた日本にあって、この村は異彩を放っている。
 なぜ出生率が増えたのか――。多くの視察団はそれを知ろうと、この辺鄙な田舎にやってくる。だが、その理由は驚くほど単純だ。村独自の子育て支援を充実させたこと。この一事に尽きる。
 例えば、村営の集合住宅を見てみよう。一部屋は約60平方メートル。2LDKの間取りだが、2台分の駐車場がついて月3万6000円である。このリーズナブルな価格に引かれて、若い夫婦が数多く移り住んできた。
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村営の集合住宅。2LDK、約60平方メートルの広さで月3万6000円だ(写真:高木茂樹)
 「飯田よりも家賃が安いし住みやすいですね」。送迎バスのバス停で保育園から帰る子供を待っていた母親はこう言った。下條村から飯田市までは車で20~30分ほどの距離。十分に通勤圏だが、飯田市の同規模のマンションと比べて半額程度の賃料である。若い夫婦に人気があるのはそのため。これまでに10棟124戸のマンションを建てたが、20組ほどの夫婦が入居待ちの状態にあるという。
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夕方になると、保育園の送迎バスが走り回る(写真:高木茂樹)

中学3年生まで医療費がタダ

 下條村の子育て支援は安価な村営住宅だけではない。
 この村では中学3年生までは子供の医療費がかからない。さらに、この2年で村営保育園の保育料を20%値下げした。子供向けの書籍を中心に6万8000冊の蔵書がある村営図書館も村の中心部にある。最近では、より広い住居を求める夫婦のために戸建て分譲も始めた。
 一時、4000人を割り込んだ村の人口も4200人近くまで増加した。若者夫婦が下條村に移住してしまうため、飯田市をはじめ周辺の市町村からはやっかみの声も漏れる。それもこれも、子供を持つ家族が暮らしやすい村作りに取り組んだ成果である。
 出生率を上げるには若い夫婦を呼び寄せればいい。そして、彼らが安心して子供を育てられる環境を提供すればいい。下條村が示しているのは簡単な事実だ。ならば、「ほかの自治体も子育て支援を充実させればいいではないか」と誰もが思うだろう。だが、借金にまみれた市町村は独自の政策を打てるほどの財政的な余力がない。やりたくてもやれない――。それが多くの自治体の本音だ。
 なぜ下條村にそれができたのだろうか。
 これから、子育て支援に至る20年の過程を紐解く。地方に対する国の過剰な関与、非効率な補助金の改廃、自治体の行財政改革、国と地方の役割分担、そして住民自治の実現。国と地方の間には解決しなければならない難問が山積している。その難題を解くヒントがこの小さな村には隠されている。下條村の20年間の軌跡を追ってみれば、霞が関を頂点とした中央集権システムの破綻が鮮明になる。
 それでは、子供が増えた奇跡の村の物語を始めよう。物語は伊藤氏が村長に就任した1992年に幕を開けた。

日本の未来が見える村

長野県下條村、出生率「2.04」の必然


 篠原 匡
 かつて養蚕で栄えた下條村。ピーク時には6500人の村民がいた。だが、昭和50年代になると、養蚕は衰退。沈没船から逃げ出すように、1人、2人と村民が減り始めた。村民の減少は村の活力を失わせる。ガソリンスタンドを経営していた伊藤氏は村民の減少をくい止めようと、役所や議会に掛け合った。
 だが、人口減少に妙案はなく、時間ばかりが過ぎていった。業を煮やした伊藤氏は自分で変えるしかないと、1992年の村長選に立候補した。その時に掲げた公約は「人が増える村」。そして、当選した伊藤氏は“村民倍増計画”を実行に移した。

「村民増」の第一歩は行財政改革

 最初に取り組んだのは財務体質の強化だった。どんな政策を打とうにも、十分な予算がなければ何もできない。ただ、いきなり歳入を増やすことは難しい。ならば、支出をカットすることで自由に使える予算を捻出しようと考えた。そして、実行したのが職員の意識改革である。
伊藤氏
村民の増加という公約を実現した下條村の伊藤喜平村長(写真:大槻純一)
 民間企業の従業員と同じくらい役場の職員が働くようになれば、今よりも少ない人員で役所業務をこなせるだろう――。そう考えた伊藤村長は民間企業の厳しさを叩き込もうとした。ところが、これがなかなかうまくいかなかった。
 「まあ、頭の切り替え1つ取っても、とにかく超スローだったな(笑)。要するに、新しいものには絶対に挑戦せんと。まあ、ひどいものだったな」。伊藤村長は職員に対して、民間企業の従業員がいかに厳しい環境で仕事をしているか、いかに君たちの仕事ぶりが非効率か。懇々と説諭した。
 その甲斐あってか、半年も経つと、伊藤村長の言うことの7割ぐらいまで理解するようになった。ただ、それでも残りの3割を理解してくれない。またまた業を煮やした伊藤村長。実際に民間の仕事を体験させるため、職員を飯田市内のホームセンターの店頭に立たせた。
 公務員は難解な言葉を使ってカネを配ることが仕事のようなもの。カネがなくなれば、「村長、またひとつ、カネを取ってきてくださいよ」と言うだけだ。そんな職員に、カネを稼ぐことがどれだけ大変か、お客様に商品を説明し、提案し、納得して買ってもらうことがどれだけ難しいか、身をもって体験させようとしたのだ。
 わずか1週間の実地研修。効果は抜群だった。
 「これまで村長が言っておったことはオーバーじゃなかった、とみんなが気づいた。それから、目の色が変わった」。伊藤村長はこう振り返る。その後、退職による自然減を補充せず、一人ひとりの職員の生産性向上で乗り切った。係長制度を廃止し、職員全員が様々な仕事をこなす体制を作り上げた。
 その結果、村長就任時に比べて、職員数は約半分の34人にまで減った。人口1000人当たりの職員数に直せば8.1人。これは、同規模の自治体に比べて半分以下の数値だ。人件費率も15.6%と群を抜いて低い。
 「ほかに比べて総数で20人は少ない。1人800万円として、これだけで年1億6000万円が浮く計算」と串原良彦総務課長は言う。一般財源に占める経常的支出の割合を示す経常収支比率は73.6%と、人口4200人の村にしては財政にゆとりがある。それも、20年近く行財政改革を続けてきたためだ。

無謀なインフラ整備に手を出さなかった

 この村が健全財政を実現しているのは国の甘言に乗って過大な投資をしなかったことも大きい。
 伊藤氏が村議会の議長を務めていた1991年、村と議会は下水道整備の検討を始めた。その当時、国や長野県は公共下水や農業集落排水処理施設(農集排)の建設を積極的に推進していた。村で試算してみると、公共下水や農集排を建設した場合、約45億円のコストがかかることが分かった。
 もちろん、国や県の補助金が出るだけでなく、地方債を発行し、財源を賄うことも可能だった。その地方債の元利払いは交付税で面倒を見てもらえる。これを見ても分かる通り、建設時の村の負担は少ない。だが、その後の30年間、地方債の償還や処理施設の運営に毎年1億7000万円が必要になる。
 それに対して、全戸に合併処理浄化槽を設置すれば約6億3000万円しかかからない。しかも、村の負担金は2億2000万円で済み、単年度で処理できる。議長だった伊藤氏は当時の村長と相談し、合併処理浄化槽の導入を決めた。
 「あんな程度の村だって公共下水を入れたんだから、うちの村だってできないはずはない。そう言って、多くの村は財政なんて何も考えずに『右へ倣え』で下水道を整備した。『なんだ、下條は合併浄化槽か』とうちも散々バカにされましたよ。でも、東京ならいざ知らず、こんな田舎で公共下水を整備してペイするはずがない」。伊藤村長の言葉は至極まっとうに聞こえる。
 「補助金」「地方債」「交付税」。この3つを行政関係者は「地獄の3点セット」と呼ぶ。インフラ整備やハコ物事業を進める場合、国や県から半分程度の補助金が出る。さらに、足りない分は地方債の発行が認められ、その元利返済は地方交付税で面倒を見てもらえた――。この3点セットは市町村が借金の痛みを感じることなく、借金を積み重ねることになる原因になった。
 90年代半ば以降、景気対策の公共投資が頻繁に繰り広げられるようになると、国の政策誘導として3点セットが使われたこともあり、自治体は膨大な借金の山を積み上げた。経常収支比率が上昇し、自由に使えるカネが少ない市町村が増えたのは、3点セットの公共投資で借金を積み上げたため。それに対して、下條村は無謀なインフラ整備をしなかった。
 この差が今、効いている。下條村が行財政改革をせず、公共下水に投資していれば、職員の人件費で1億6000万円、下水道で1億7000万円の計3億3000万円のコストが毎年かかっていた。下條村の予算規模は約28億円。予算の1割以上が浮く影響はとてつもなく大きい。
 村長就任後、行財政改革を断行し、政策に回せるカネを捻出した伊藤氏。次に、実行したことは「行政サービスの明確化」だった。


日本の未来が見える村

長野県下條村、出生率「2.04」の必然


 篠原 匡
 役場の職員の目の色が変わった――。村長2年目に入ると、役場の意識改革を村民も直に感じ始めた。「職員もよくやっているじゃないか」。こうした声が出始めるのを確認すると、伊藤村長は村民に1つの提案をした。「皆さんも知恵を出して汗をかいてください」と。
 行政にカネがあった時代は住民に手厚いサービスを提供できた。だが、財政が厳しい今の時代、すべての要求を聞くことはできない。行政がやるべきものは何か。そして、住民が自分たちでできるものは何か。それを明確に分けようとしたのだ。その中で生まれたのが、下條村独自の「資材支給事業」である。

「生活道路はあなたたちで造ってください」

 簡単に言うと、砂利やコンクリートなどの材料費は村で負担するから自分たちで道路を造ってくれ、という制度だ。対象は集落内の生活道路のように幅3~4メートルほどの道路や畑の側溝など。3人以上の受益者がいれば、材料費や燃料代は村が負担してくれる。
 確かに、バックホー(パワーショベル)を運転できる人間は集落に1人くらいいる。土木会社で働いており、必要な砂利やコンクリートの量を積算できる住民だって1人や2人ではないはずだ。地面をならし、砂利をまき、コンクリートを流し込むことなど、集落のみんなでやればそう難しいことではない。
 「それは役所の仕事だろう」。始めた当初は不満の声も上がった。だが、ある集落が真新しい道路を造り始めると、反対していた人々も雪崩を打って道を造りだした。この資材支給事業で造られた道路や水路は今や1000カ所以上。下條村を車で走ると、手書きの「年月日」が刻印された白い道が至る所で目に入る。
 この道路造りは別の効果をもたらした。地域のコミュニティーが活性化したのだ。「共同でやる作業はだんだんと減っていたが、皆が共通の目標を持つことで、集落の活動が盛んになったね」と伊藤村長は打ち明ける。
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住民が作った手作りの道路。記念のため、建設の年月日が刻印してある(写真:高木茂樹)
 伊藤氏が村長になる前は、村民が議員を引き連れて、「家の前の道路を舗装してくれ」「農道を整備してくれ」「側溝を造ってくれ」という陳情が相次いでいた。だが、予算に限りがある中、一人ひとりの要求にすべて応えることはできない。聞くだけ聞いて後はほったらかし、という状況だった。
 だが、3年も4年も陳情したところで実現の可能性は低い。それに対して、自分たちが汗をかけば、数日でできてしまう。何でもかんでも行政に依存するのではなく、できることは自分たちでやるべき――。そう考えた末の提案だった。
 「行政がやるべき仕事と住民がしてほしいことのケジメがついていなかった」と伊藤村長は振り返る。住民のわがままが行政コストを増大させていることは少なくない。住民の意識さえ変われば、余計なコストをかけなくても生活環境を向上させられる。うまく地域のコミュニティーを活かせば、かなりのことができる。そのことを、下條村の道路造りは証明した。
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道路標示も住民の手書き(写真:高木茂樹)

補助金を活用した村営住宅の大失敗

 財源の捻出、行政サービスの明確化、地域コミュニティーの活用。ここまで実現した伊藤村長は、いよいよ公約である“村民倍増計画”を実行に移した。まず手をつけたのは村営住宅の建設。安価な賃貸住宅を提供し、若者の定住促進を図るためだ。
 97年。全12戸の第1号マンションを建てた。この時、建設費に国の補助金を活用した。約1億円の建設費の半分を国に負担してもらったのだ。補助金は市町村の政策を後押しするためのもの。使える制度を使おうと考えるのは村長として当たり前のことだ。だが、補助金活用は大失敗だった。
 下條村が賃貸マンションを建てようと考えたのは、既に子供を持つ、もしくは今後、子供をつくる気がある若い夫婦に定住してもらうため。だが、村のコミュニティーを守るため、新住民には消防団や地域の行事に参加してもらわなければならない。つまり、下條村が定住してほしいのは「子供をつくる気があり、コミュニティーに参加する若者」である。だが、国の補助金を使うと、この目的を達成できないことが分かった。
 一般的に、国の補助金には様々な制約がある。例えば、下條村のマンション建設の場合、「入居者は抽選で決めなければならない」「低所得者層を一定数、入れなければならない」「家賃はいくらでなければならない」などの縛りがあった。国費を投じる以上、公平性や大義が必要ということだろう。
 下條村はこの縛りの下、入居者を抽選で決めた。だが、抽選で入居したある家族は地域活動に一切参加せず、住民と摩擦を起こした。さらに、家賃まで滞納するようになった。「協力的でない人間が1人いるだけで、地域のコミュニティーがダメになる」。この一件に懲りた伊藤村長。2棟目以降、すべて村の自主財源で建てることに決めた。カネはかかるが、村が望む人々を選ぶことができると考えたためだ。
 今では入居条件を「子供がいる」か「これから結婚する若者」に限定。消防団への加入や村の行事への参加も条件に加えた。その結果、村が考える「質のいい若者」が入居するようになり、村や地域が活性化し始めた。各地域もマンション建設を歓迎するようになった、という。

出生率「2.04」は表面に見える1つの結果

 この村営住宅のほか、図書館建設や医療費補助などの政策を順次打った伊藤村長。村民の増加という公約を実現し、出生率2.04という“奇跡”を起こした。メディアや自治体が大挙して訪れるモデル自治体に変貌したのだ。
 これまでの経緯を見ても分かる通り、出生率が増えたのは表面に見える1つの結果に過ぎない。奇跡ではなく必然。そこに至る過程こそ、今の国と地方が考えなければならないことだ。そして、この過程には、今後の国造りを考えるための多くの示唆が含まれている。
 今一度、整理してみよう。伊藤村長は「村民増加」という1つの政策を実現するために徹底的な財政の見直しを始めた。その過程では役場の職員の意識改革やリストラを断行し、必要な政策を打つための財源を確保している。これは、「隗より始めよ」ということでもある。

 「民間企業に比べれば、役所の業務は無駄だらけ。役所のスリム化は今からでもできるし、最初にやらなければならない」と伊藤村長は言う。この10年、市町村は職員の削減などのリストラを進めている。だが、民間企業と役所の双方を知る伊藤村長に言わせれば、役所の生産性向上はまだ足りない。地方交付税の増額を叫ぶ前に、徹底した行財政改革を推し進める。それが自治体再生の第一歩と説く。

「住民の要望にケジメをつける」

 次に、村が何をどこまでやるべきか、線引きしようとした。これは、行政サービスの明確化。伊藤村長の言葉を借りれば、「住民の要望にケジメをつける」。市町村に限った話ではないが、「しっかりと税金を払っているのだから役場がやって当然だろう」と考えている国民は少なくない。だが、今はその財源が不足している。何を村がやり、何をあきらめるのか。その選別は必要不可欠だ。
 そして、生活道路の整備など、村が提供できないサービスでは住民や地域の力を積極的に活用した。もちろん、下條村の道路造りは集落のコミュニティーが残っていたためにできたこと。だが、行政にできることは限られている。地域のコミュニティーを再生し、活用していく――。財源に限りがある今、地域の力を積極的に使わなければ、これまでのような住民サービスは提供できないだろう。
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不格好だが、立派な農道。下條村にはこうした手作りの道路が1000カ所以上ある。(写真:高木茂樹)
 そのためには、住民も変わらなければならない。「民主主義」「住民自治」という言葉は存在するが、日本全国を眺めると、この言葉は空虚に響く。豊かな生活を送るためには、行政に依存するのではなく、自分たちも汗をかく。この発想が住民サイドにも求められる。
 さらに、村営住宅の一件は国の補助金の存在意義を問い直した。第1号マンションが示した通り、国の補助金は事細かに条件を定めるため、市町村にとってはひどく使い勝手が悪いものになっている。この使い勝手の悪さが、補助金の政策効果を著しく弱めている。伊藤村長も指摘する。
 「がんじがらめの補助金は不要。『少子化対策』のように、大まかな使途だけ決めて、あとは市町村に任せてほしい」。下條村は村営住宅を自主財源で建てることができたが、政策実行のために補助金を必要としている自治体は数多い。国の基準に合わせたために、市町村が狙った本来の効果と乖離してしまうのでは本末転倒だ。

14万円の補助金に16万円の事務コスト

 ここで、補助金の問題点について補足しておく。様々な制約が補助金の使い勝手を悪くしているのは第1号マンションで述べた通りだが、補助金の問題はそれだけではない。特に、非効率な少額補助金は深刻な問題である。
 NPO地方自立政策研究所の調査によれば、国が地方に配分している補助金は一般会計で約16兆3000億円(2006年度のデータ)。そのうち、義務教育費国庫負担金などの負担金を除いた補助金総額は約4兆6000億円。件数は約800件である。この800件は大枠のメニューであり、実際はさらに細分化されている。その細部を見ると、10億円未満のものが32%、1億円未満が26%を占めている。60%近くが少額補助金である。
 しかも、市町村に対する補助金は都道府県を通して交付される。県を経由する過程でさらに細分化され、様々な利用条件が付け加えられる。その結果、市町村に届く補助金は少額なのに、書類作成などに膨大な手間とコストが生じることになる。
 地方自立政策研究所役割分担明確化研究会が著した『地方自治 自立へのシナリオ』(東洋経済新報社)には興味深い例が出ている。「特殊教育設備整備費補助金」という国の補助金。実際の補助金額は13万6000円だが、事務コストを試算してみると、15万9000円がかかっていた。実際の補助金よりも事務コストの方が高いとはどういうことなのか。これは極端としても、補助金のかなりの部分が事務コストに消えているのは間違いない。
 「特殊教育設備整備補助金」は社会的に必要な補助金だろう。だが、使途を細かく決めた結果、税金が非効率に使われている。この補助金のような障害者のための支援であれば、このように細かな少額補助金ではなく、もっとまとまった金額を与え、市町村にフリーハンドで使わせる方がより効率的ではないか。
 権限移譲と財源移譲。これは、国と地方のすべてに言えることだ。

国は子育て支援に力を入れている。厚生労働省のホームページを見ても、「地域子育て支援拠点事業」「子育て支援センター事業」「育児支援家庭訪問事業」などいくつものメニューが並んでいる。地域で子育てを進められる施設は必要かもしれない。子育てに悩む母親のところにヘルパーが訪問することも大切なことだろう。だが、これらの政策の結果、出生率が劇的に改善したという話は聞かない。

霞が関の政策より人口4000人の村の方が効果大

 それに対して、下條村は限られた予算の中、住宅支援補助、医療費補助、保育園整備、図書館建設――という一連のメニューで子供を持つ家庭が暮らしやすい村を作った。その結果として、出生率2.04を実現した。霞が関の政策よりも、人口4000人の村が財布をやりくりして打った政策の方が出生率の向上に寄与している。
 地域のニーズを知っているのは住民に身近な市町村だ。出生率を上げた下條村を見ても分かるように、住民の生活に直結したサービスに関して言えば、少なくとも市町村の方がカネをうまく使う。これは子育てだけの話ではない。
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村の中心にある図書館。子供向け書籍が充実している(写真:高木茂樹)
 地理的に見れば、下條村は工場が集積する飯田市に近く、子育て支援策を打てば若年夫婦が集まる素地があった。だからこそ、伊藤村長は「人の増える村」を公約に掲げ、選挙で当選し、子育て支援政策を実行してきた。子育て支援と村民の増加は下條村の住民ニーズだった。
 だが、天竜川を挟んだ泰阜(やすおか)村は事情がまるで違う。下條村は最も遠い集落でも車で15分ほどしかかからない。だが、急峻な山あいにある泰阜村では1時間近くかかる。インフラにも全く恵まれていない。幹線道路が狭すぎていまだにマイクロバスが村の中心部に入れない。ATMは1つもなく、農協も引き揚げたため、郵便局が1つのみ。下條村と比べれば、地理的条件は雲泥の差だ。
 この泰阜村は「福祉の村」として知られる。この村は、介護保険制度が始まる10年以上前から介護費用を村が負担してきた。介護保険が始まった今も、厳しい財源をやりくりして自己負担分の一部を村が負担している。関係者の間でも評価の高い泰阜村の高齢者福祉政策。それを進めたのは、泰阜村が高齢化率37.8%、後期高齢化率23.4%に達する高齢者の村だったからだ。
 下條村と泰阜村。隣同士の村だが、住民が求めているニーズは違う。そして、村民のニーズに沿って、どちらの自治体も乏しい財源をうまく使っている。非効率な補助金はやめ、市町村に財源を渡し、住民のニーズに合った政策を実行させる――。その方が費用対効果は向上し、住民のためにもなる。
 「介護や子育て、教育など本当に住民に密着するものは市町村に任せてくれればいいと思うんだよね。介護1つ取っても、国は細かく口を出すけど、霞が関の人たちも忙しいでしょう。住民密着問題は裏づけとなる財源を渡して、市町村に任せた方が国も楽だと思うんだけどね」。泰阜村の松島貞治村長は言う。

住民ニーズを知るのは霞が関でなく市町村

 こう言うと、霞が関の官僚は必ず反論する。「どのように使われるか分かったものではない」「市町村は何をしでかすか分からない」、と。確かに、下條村のようなまともな市町村ばかりではない。国民一律のサービスを担保しよう、と官僚が考えるのも分かる。
 もっとも、その結果が費用対効果の著しく低い補助金であり、山積みになった国の借金だろう。
 奇跡の村の物語。ここから見えるのは、地方分権を進めることが、いかに効果の高い政策に結びつくかということだ。意味のない補助金をやめ、住民に密着するサービスの提供を市町村に移譲する。そして、市町村は生産性の向上を進め、コミュニティーの力を活用して豊かな生活を送るためのサービスを提供していく。下條村が示しているのは、この当たり前の事実だ。
 ただ、地方分権の前提として進めなければならないことがある。それは、国と地方の役割分担を明確にすること。今は国と地方の役割が錯綜している。
(後編に続く。掲載は2月12日木曜日の予定です。ご期待ください)

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